大切なものを守るため、制圧するため、ジムでカラダを鍛える【守りたいものを守りたい】
つい最近、ジムに通い始めた。
いざ通い始めると、「どうして半年前からジムに来なかったのだろう」と思う。
そのくらいジムは気分転換になる。
それに、気持ち悪いほど、意味がわからない事件が多いから、
ときに絡んできた相手を制圧する必要があるかもしれない。
目次 Índice
運動モチベーションがあるひとに囲まれる
ぼくは仕事などのストレスでご飯に逃げるときがある。
ご飯しかお金をかけるところがないので、食費を節約する思考がない。
(家計簿を付けているから具体的な数字がわかるけど、食費はひと月3万円くらい)
ジムに通い始める前は、運動をしたいとき外をランニングしていた。
朝7時くらいに出かけなくてはいけなかったりするので、朝ランニングすることはできない。
そうなると、消去法的に夜8~11時くらいの真夜中に歩道をランニングしなくてはいけなかった。
それも、雨になると走りたくないし、雨が降って路面が濡れているときもイヤだ。
風が強いときもイヤだ。
そういうとき、室内で運動できるジムは便利だ。
筋トレマシーンもたくさんあるし、ランニングマシーンやバイクもある。
運動の種類がたくさんあるから、日によって、気分によって選べる。
それにプールも、大浴場もある。
まわりには、運動で汗を流しているひと、がちマッチョ、シェイプアップに熱心な女性がいて、自分のモチベーションが維持される。
これはいい。
カラダを鍛えることへのモチベーションは、自分をまもるため
もう27歳のおじさんなので、カラダを鍛え始めるとカラダが若返る。
体重が80kgくらいあって、そこから一向に減らないのが悔しい。
一時期は83kgで、一年前が75kgだったので、77kgを目指して運動している。
けれど、運動する別の意気込みに「大切なものをまもるため」というのがある。
最近、凄惨な事件が多い。
それに、アホみたいなひと、というか、「アホ」が多くていつ巻き添えに遇うかわからない。
こういう人間が最近の日本でも多く現れつつある。
正直、こういう人たちが何を考えているのか全くわからない。
だから、年齢とか性別関係なく、ただただ怖い。
何を考えているのかわからないひとを相手にしたとき、
「自分に何ができるのか」、
「自分が何をするべきなのか」、
ということを日本社会に身を置いていても考えなくてはいけなくなってきた。
コロンビアでは、それこそ銃や複数人の犯罪グループに注意を払わなくてはいけなかった。
そして、そういう場面に遭遇したとき、なにもすべきではないことを学んだ。
襲われたときに抵抗をしてはいけないのだ。
だから、襲われないこと、被害の対象にロックオンされないことが、自分の身を守る上で最も大切なことだった。
最近の日本の狂いようを感じると、ぼくは自分の身を自分で守らなくてはいけない。
それに、自分の身だけではない。
ほかにも守らなくてはいけないものはたくさんある。
そういうとき、自分の身体は鍛えておかないといけない。
自分さえも守れない者が、ほかを守ることなどできないのだ。
香港でもつい先日、政府と結託しているらしい暴力団がデモ参加者のみならず、一般人を無差別で攻撃している。こういうニュースはとても心苦しい。暴力で訴えてくるものに対して話など通じないし、警察が必ずしも助けてくれるとは限らない。
ロックオンされない「破のオーラ」を手に入れる
不条理なことに巻き込まれたとき、防衛するための強さを持つ必要がある。
たとえば、ぼくが3人の男の子に絡まれたら、冷静に対処する必要がある。
でも、その3人が暴力的であれば、あるいは武器を所有していたときは、冷静に正当防衛する必要がある。
自分の周りに守るべき人がいれば、なおのことだ。
そういうとき、正当に防衛するための強さが必要になる。
ぼくはそのためにガタイをよくしている。
10kmのランニングも同様だ。
震災などの不慮の出来事が起きたとき、動けなくてはいけない。
人を助けるためには、冷静な判断能力だけではなすすべがないときもある。
物を持ち上げるとき、物を運ばなくてはいけないとき、
30kgしか持てない人 と 60kg持てる人では、動ける幅が違ってくる。
そういうときのために、カラダを鍛えている。
新幹線や飛行機の席上の物入れに置くのを手伝ったり、下ろすのを手伝うのにも役に立つ。
守るものを自分の弱さで守れなかったら、これほど悲しいことはない
カラダを鍛えることで自分が貢献できる機会は増える。
自分や大切なひとを守るためには、正当に防衛する必要がある。
そういうとき、右手の1本や足の1本を代償にしてでも、価値があるものを守らなくてはいけないかも知れない。
自分がカラダを鍛えている風でガタイが良ければ、無作為にチャラついたひとたちに絡まれる可能性は減るだろう。
そうすれば、自分の隣を歩く人も襲われなくなる。
ひとに裏切られることはあっても、自分の身体は裏切らない。
正面から襲われそうになっても、日本ならよっぽどのことではない限り、相手が銃を所持していることはないから、制圧しなくてはいけないかもしれない。
「そんなひとはいないよ」と思うのもよいだろう。
でも、ぼくはそういうひとがいる可能性を考えて日頃から過ごしている。
駅前や路上で集団で座っている若いグループがいれば人数は把握するし、体のサイズや周囲の状況もシミュレーションする。
それは、男の子が小さいころ「教室に突然不審者が攻めてきたら….」と妄想するのに似ているかも知れない。
でも、現実問題、実際にそういうシミュレーションをしていれば、初動は早く取ることができる。
何もないなら、それに越したことはない。
ここで、こんな風に意思表示をする必要もない。
それでもなお、ぼくは日本以外にも、また中南米やアジア諸国に行く予定があるから、万が一のときのために日頃からムチムチボディに鞭を打って鍛えている。
これが、ぼくがジムでカラダを鍛える一番の理由だ。
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