暗い気持ちでストレスを抱えてしまったら、イチゴを食べよう
ひとつのイチゴが、ぼくの暗い気持ちを一新した。
ブログを更新しなかった期間、身の回りでいろいろなことが起きていた。
だから、良いこともあれば、大変なこともあった。
結構つらい時でもあった。
ぼくは、暗い気持ちで沈んでしまったとき、なるべく自分一人の力で回復したいと思っている。
ほかの人へSOSを発信できることも勇気だけど、それは最後の手段にしている。
いろいろなことがあっても、「自分自身で立ち直った」という経験が今後活きてくると思うからだ。
精神的に弱っているひとを助けようとするのは、むずかしい
ぼくは、精神的に弱っていた。
そういうとき、タイミングによっては話しかけてほしくないときもある。
こちらの話を聞いてほしいときもあるけど、それを他人がズバリ当てるのはとてもむずかしいことだろう。
それに、ガラスのハート状態になっている精神を、外からノックすることは危険だ。
逆鱗に触れたり、「うるさいな!」と怒鳴られることもあるかもしれない。
だから、ぼくはほかのひとが暗い気分でいてもあまり手を貸さない。
それは、「その人自身が1週間や1か月、数か月かけてでも自分の力で乗り越えた」ということがとても大切な経験だと思うからだ。
大学のとき、「仲の良かった友だちが鬱気味になってるみたいだよ」と情報を提供されたことがあった。
そのときも、特に変わらずに接した。
その友人がどれほどしっかりものなのかわかっていたし、そこで手を貸すことよりも、手を貸さないであげたほうが彼のためになると思ったのだ。
結果、彼は1か月くらいで明るくなっていた。
ぼくは彼がなぜ暗い気分になったかを知らないし、彼はぼくが手を貸さなかったことを今でも知らないだろう。
それでも彼は、ひとりで立ち直ってみせた。
ひとりではどうしようもないときは、周りがそのSOSに気づいてあげなくてはいけないけど、だからといって過度に干渉するべきではないのかもしれない。
ぼくはストレスで太るタイプでした
ストレスを感じると、痩せていく人と太っていく人がいる。
ぼくは太った。
何キロも体重が変わったわけではない。
気分が乗らないから運動しなくなったり、気分を好転させるために自分が食べたいものを食べたりした。
いくつか良いきっかけをつくる
悪いことが起きるなら、良いことを起こせばいい。
なにか小さな目標をつくって、がんばって前進した。
それをクリアすると、すこし気分が軽やかになる。
いくつかそのように前進すると、冷静に「どうしてこんな暗い気分になっているのだろうか」と思考することができるようになった。
そういう段階に到達すると、冷静に気持ちスイッチをリストアップできるようになるので、あとはそれらのリストの簡単そうなことから順に潰していく。
それでだいぶいい線まで行った。
つい先日の話だ。
最後は、あとすこし何かきっかけがほしくて、周りのひとからのきっかけ(助け舟)に乗っかった。
今日はそういうわけで、朝から田植えのイベントに参加して、いろいろなひとたちを出会って、話した。
自分が悩んでいることがしょうもないことだとは思わない。
でも、きっと夏を楽しんでいる未来のぼくは、いまのぼくの悩みなんて覚えてやしない。
そう考えると、もう気分はだいぶ軽くなった。
決定的な転機は、仕事中に差し入れされた一粒のイチゴだった。
「普通のイチゴだよ」と言われていただいたそのイチゴは、これまで食べたどのイチゴよりもおいしかった。
そのイチゴを食べたときに、心のモヤモヤがどこか遠くへ流れていこうとしたのを感じた。
だから、今日もイチゴをワンパック食べる。
いくつかの不運が重なると、暗い気分になる。
でも、一粒のイチゴはそういう心を好転させる力があることを知った。
イチゴって、すげーな という話でした。
COMMENTS & TRACKBACKS
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精神的に弱ると周りからどれだけいいアドバイス頂いてもなかなか吸収できんよね。ストレス抱えた時は美味しいもの食べるのが一番かもね。人によりけりだが。
「ひとによる」というのが、やっかいだよね。
あとあと立ち直るころに、「これがきっかけで疲れていたんだな」ってわかるから、対処療法的になってしまうのも仕方ない。
でも、精神的に弱ったからこそ、いまの自分はこういうことを耐えることはできないんだなって、精神からの訴えを知ることができる。
だから、ネガティブだったけど、根はポジティブのままだ。
イチゴ、おいしいよ!
コロンビアなら、有無を言わさず、エンパナーダとグアナワナのジュースだな