「環境に優しい有機農業」は、ただフレーズが美しいだけで、真実をベールに包んだ魔法の殺し文句である

「環境に優しい有機農業」は、ただフレーズが美しいだけで、真実をベールに包んだ魔法の殺し文句である

「有機農業だから良い」というのは、”絶対”にありえません!!有機農業は環境に優しいのか?将来の農業のことを真面目に考える

 

有機農業は、農家さんごとに違う。
日本の有機農家さんのもとを訪問すると、足を運んだ分だけの有機農業と出逢う。
また、有機農業に関する学会や会議に参加すると、話の前提となる施肥管理や雑草管理、栽培管理が違うのは当たり前。
そして、集約的な技術ばかりが紹介されるので、ぼくにとっておもしろい話は少ない。

 

管理が違うのだから、それぞれの管理から生産される農業産物も千差万別になるのは必然であろう。
しかし、現状、「有機農産物は有機農産物」であって、そのなかでさらにランク分けされたり、有機栽培の評価 可・良・優・秀など、有機農産物の“奥”が話題に上がることはない。
いまはまだ、その域には社会が達していないということだ。

 

有機農業は「学校」:個々の集団の総称にすぎない。

有機農業に属する栽培は多い。
「有機農業」という大枠は同じでも、そのなかにはたしかに個性があり、そして、ときには「有機農業のながれ(流派)」とも呼べるほどに概念的に分類できる。

 

同じ小学校のなかでも、子どもたち一人一人の個性や能力、ポテンシャルが違う。
そのなかに、運動が得意な子、勉強が得意な子、ピアノができる子、また、物静かな子、活発的な子、自立している子、何かを悟っている子、周りに流されやすい子など、なんとなくかたまり(グループ)にして、くくることができる。

 

それは、有機農業という世界でも同様である。
  • 慣行的な農業のような、投入型の有機栽培
  • 伝統的な有機栽培
  • 自然の営みの活用を図る有機栽培

 

そして、小学校の子どもたちの将来に無限の可能性があるのと同じように、各農家にも本来無限の可能性がある。
それをぼんやりある方向(普通、「善い」とされる方向)へと、誘導する存在が大切になる。
その存在は、実際に現場で舵取りを行う生産者であり、ビジョンやデータを提示する研究者や自治体であり、そして、農産物を購入するわれわれ消費者でもある。

 

しかし、現状、ほとんどのひとは有機農業よりも先のビジョンを持っていない。
そのため、有機農業や有機農産物が最良であると思い込んでいる。
これは、日本の有機農業研究者の集まりでも同様である。

 

想いでは不十分で、そのプロセスを気にするべき

ぼくは、普段食べ物にそれほど意識を払わない。
近年話題となっている「生産者の見える化」。

 

スーパーの野菜コーナーにQRコードがあっても、読み取ったことは一度もない。
知り合いが作っているなら、その人から直接買いたいと思うし、買う。
そのほうが「安心」だからだ。

 

「生産者の見える化」という取り組みを否定する気はないが、生産者の顔写真やデータを見たところで、ぼくの購買意欲を刺激してきたことはない。

 

そう、ぼくはドライな人間なのである。

 

 

いつも思うのだけど、
何を信じればいいのかわからないこのご時世において、科学的(もしくは客観的)な根拠(データ)を提示しないと一定の層の消費者は納得しない。

 

想いだけでは足りないのだ。
想いは誰でも持っている。
その想いを、どのようにして実現している、もしくは、どのように実現しようとしているか。
そのプロセスこそが大切だろう。

 

風評被害で苦しんだ福島やその近隣自治体の農家さんたちが、
「わたしの農産物は、安全安心です!」と主張するよりは、「放射性物質測定済み。未検出でした」と情報を提示しているように、想いを形として表現したほうが信頼できる。

 

しかしながら、現状において有機農業の場合はこの必要はないのかもしれない。
なぜなら、有機栽培で生産しただけで、「有機農産物=安全安心&美味しい」という、よくわからないイメージを消費者が描いてくれるからだ。
現在は、この世界に満足するしかないだろう。
しかし、近い将来、かならずその先の未来がやってくる。

 

プラシーボ効果のように、「美味しい。美味しい。」と思って食べることが、1番楽しく食事を食べる手段であることは事実だろう。

 

有機農産物と無機農産物

毎回偉そうなことを言っているぼくも、例に漏れず、消費者のひとりである。
食材を販売しているスペースは行けば、多くの場面で、「有機農業」、「有機農産物」、「有機栽培」という文字を見かける。
「有機」というのは、それだけ消費者の意識を惹きつける魅力的な言葉となっている。

 

化学肥料や化学農薬などの化学合成物「無機」と対を成す、「有機」はやはり救世主なのだろう。
われわれは日常において、パソコンやケータイ、テレビなどの無機物を使っているのにもかかわらず、そういうときは、本能的とでも言うのだろうか、「無機」農産物に拒絶する。

 

しかし、前提的に知っておいたほうがいいことは、われわれが普段口にしているものは基本的に「無機」農産物であるということだ。
日本の有機農業の農地面積は、全農地面積の0.4〜0.5%である。
1%にも満たない。
のこりの99.5%は、「無機」農業である。

 

ぼくは最近有機農業に関する記事を書いている。
有機農業の輪が広がることは嬉しいが、それは“想い”である。
こういった記事を書いている本質的な理由は、どういう農業がわれわれにとって目指すべきものなのかを考えるきっかけを提供するためだ。
ぼくは書くことによって、頭のなかで文字となっていなかったものを整理できる。
Win-Winだとうれしい。

 

「環境に優しい有機農業」という尋常ではない違和感

ぼくは「有機」という文字を見ると、「どっちかなぁ」と思う。

 

どっちか というのは、多投入でバンバン肥料を入れているタイプとそれ以外だ。

 

学会や研究会、有機JASなどを眺めていると、とても驚くことなのだが、
有機農業や環境保全型農業という冠を被ってさえいれば、すべてが「環境に優しい農業」になるようである。

 

一例を挙げてみよう。
みなさんには、冷静に判断していただきたい。

 

有機農産物は、他の農産物に比べ、高値で売れる。
有機栽培で何棟ものビニールハウスのなかで、ホウレンソウだけを一年中継続して栽培する。
葉物野菜は、回転率で利益をあげるタイプの作物なので、畑を休めたりせず、輪作をすることもなく、ホウレンソウを何年も作り続ける。

 

有機JASという唯一の有機農産物認証には、動物性堆肥や有機質肥料などといった有機肥料の使用量に関する決まりはないので、ハウス内でホウレンソウを年に何回もたくさん作るために有機肥料をたくさんいれる。
ハウス内の環境というのは(外の世界とは違い、)人工的な環境なので、ときどきハウス内を潅水(田んぼのように水をビダビタにすること)する必要がある。
この潅水という作業は、ハウス内土壌の栄養塩バランスの崩れを水で流し切るために行う。
つまり、大量投入した有機肥料の養分の多くを、大量の水によって土壌の下層へと流して、次のホウレンソウ栽培のためにハウス内土壌環境をリセットするのだ。

 

これ、
環境汚染の主原因としてあげられている慣行農業とやっていること、まったく同じである。

 

生産性を高めるために過剰な肥料を農地に撒き、都合が悪く不要な養分は水によって地下層へと洗い流し、地下水を経由して、農地から排出する。
よく慣行農業の問題として挙がる地下水汚染と何が違うのだろうか。

違和感がありませんか?

 

 

成功している有機栽培の例として、「環境にやさしい有機農業」を推奨しようとしているひとたちの集まりで、こういう「環境破壊を最前線で招いていること」が嬉々として紹介されている。
そういう現状がある。
この現状を多くのひとが気づいていないで(もしくは、気づかないふりをして)、成功例として褒め合っていることに、めちゃくちゃびびる。
「環境に優しい」というただの枕詞がつけば、それだけで環境に優しい農業になるようだ。

 

違和感を感じませんか?

 

このひとたちにとって、どんな場面でも“環境に優しい”という形容詞が自動的に付いて説明される「有機農業」とは何なのであろうか?
そして、冷静に考えればわかるこれらの環境破壊の原因にもなりうる「有機農業」に対して、”環境に優しい”という冠を自動的に与えて良いのだろうか?

 

有機農産物が高く売れるから、ビジネスチャンスとして有機農業に取り組んでいる会社は多い。
そして、そういう会社はどうしても慣行農業を模した多投入型の農業スタイルから抜け出すことができていない印象を強く受ける。
一儲けしてやろう!!!と思っているひとにとって、真に環境に優しいかどうかは関係ないのだろう。
だって、世間では自動的に、「環境に優しい有機農家」という称号を授与してもらえるのだから。

 

さらに興味深いのは、
そういう多投入型の有機農業で有機農産物を生産している会社は、「有機」という冠によって売り上げが高くなるので、教え子(弟子)をたくさん輩出しているのだ。

 

ここで紹介した栽培は、ぼくからしたらまったく環境に優しくないやり方なのだが、「環境に優しい有機農業」というネーミングとイメージは罪深い。
農業を取り巻く環境は、これだけ何年何年も慣行農業の代替となる農業が求められていながらも、根本的には何も変わっていないのだ。

 

あなたが想像していた有機農業は、こういう有機農業でしたか??

 

ぼくは、投入型の農業ではなく、投入量を極限まで減らすことを前提とした別のタイプの有機農家さんたちと繋がりがある。
真に環境に優しい有機農家さんと知り合いになる。
そういう世界にいると「日本の農業はだいじょうぶだ。」と安心するのだが、ひとたび有機農業に関する集まりに参加すると「どうしてもっと俯瞰して農業のあり方を眺めないのだろう?」と感じる。

 

残念でならない。

残念でならないのだが、その一方で、みながそちらに意識を向けているからこそ、自分が持っているアイディアや技術がより活きるとも考えられる。

良いモノは独り占めせずに、多くの人と共有し合いたいので、乞うご期待。
でも、核心となる部分やめちゃくちゃおもしろいことは、ぼくが置かれている立場上口外できないことも多い。
だから、歯切れが悪くなることもあるかもしれない。

まぁ、このブログでは、いちいち引用論文を付けるわけでもないので、一意見として読み進めてください。
科学的な根拠に基づいて基本的に書きますが、「うそだろ」と感じたならば、自身でネット検索してください。
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Chaito

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