「協力隊2年間」あれから1ヵ月。任地の記憶を呼び起こしてくれるのは、アレ
帰国してから明日で丸々1ヵ月。
コロンビアに居た2年間が夢のように感じる。
本当に2年間コロンビアに居たのだろうか??
忘れられない経験なので、忘れることなどありえない。
だが、記憶の表面の部分から、徐々に徐々に下層のほうへと潜っていっている。
思い出すきっかけがつかめないのだ。
コロンビアの記憶を鮮明に思い出すことができるようなサルベージシステムが身近にない。
ただスペイン語に触れたときだけ、スペイン語の感覚からコロンビアのことを思い出す。
夢から醒める玉手箱は、スペイン語しかないのかもしれない。
目次 Índice
「2年間」の話にならない
帰国して、意外なほどにコロンビアのこと訊かれない。
協力隊の活動というマニアックなことを訊いてくるひとがいないことは、予想していた。
それは口頭で話しても想像できないから、仕方のないことでもある。
ただ、予想よりはるかにコロンビアのことを訊かれない。
受け身では仕方ないのだけど、興味関心がないのに、”わざわざ”コロンビアの話をしても仕方ない。
帰国直後の2日間で行われたJICAの帰国後研修でこう言われた。
「友だちと居酒屋に飲みに行く。そうすると、最初は帰国祝いということで、派遣国や協力隊活動についてみんな耳を傾けてくれる。でも、5分経つと、みんなメニューを見始める。」
前も言ったが、2年間はみんなに平等に流れる。
だから、協力隊の話とか、派遣国の話を気を遣って訊いてこられると、「そんな気を遣わなくていいのに。。」と感じる。
海外に居たからとか、協力隊に行っていたからで、「2年間」という月日の価値が変わるわけではない。
協力隊の活動期間2年間だって、協力隊参加希望者が自主的に参加しただけだし、特別扱いされるようなことではない。
というわけで、友だちと会うと、就職の話や仕事の話、恋愛や結婚の話などなど、いつも通り和やかな話をする。
これでいい。
そもそも今の時代、興味があれば、とりあえずグーグル先生に訊いてみる時代である。
だから、興味関心があれば、インターネットで調べるのである。
もちろん、人物を介して、協力隊や派遣国に興味を持ってもらうことも、協力隊の「日本社会への還元」という面ではとても大切だ。しかし、きっかけにすぎない。
北海道出身の人に出会う。
北海道の名産や観光地の話題になり、北海道の情報が手に入る。
そこから、実際に北海道の情報を調べるかどうかは、そのひとの自主性というか、興味関心の強さに委ねられるわけだ。
沖縄旅行を計画している人に北海道の話をしても、うわの空になるのが常だ。
自分から発信すること。
大切だ!!
というわけで、僕の場合はブログで写真付きで8月に大量放出する。
友人や親族と会う。
みんな話したいこと、訊きたいこと、聞きたいこと、相談したいことがある。
和気あいあいとした環境に優先順位はない。ないほうがいい。
だから、べつに「2年間」の話をしなくてもいい。
「2年間」は夢の中?
日本で普通に生活するうえで、断片的な情報を小出しする以外の場面はない。
ちょっとしたことが話題になることはある。
たとえば、「コロンビアのアップル商品の価格」とか。
そういう話はある。
自分で派遣国や協力隊の2年間の話を何十分もベラベラ話す機会はない。
あるひとはあるのだろうが、ぼくはない。
自分のなかでも、いまの関心は自分のライフスタイルや運動習慣に向いている。
だから、コロンビアのことを考えることはあまりない。
コロンビアの友人から連絡が来れば、それに返信する。
それはコロンビアのことを思い出すのには十分ではない。
個人と個人の間の記憶はよみがえってきても、その周りの環境や思い出が一緒に思い出されることはない。
だから、2年間が夢のように感じる。
「本当に行っていたのかな?」と自問すること、多々。
自分のなかに吸収されたモノ。
それをきちんとアウトプットすることで、自分のなかでもキチンと整理できるようになると思う。
「帰国隊員は(文明的に)浦島太郎」は、今の時代ありえへんやろ~
協力隊から帰国すると、2年間情報が遅れている。
派遣期間中の2年間の情報が、ほかのひととどこか違いを感じる。らしい。
それ、一昔前の話だろう。
今の時代、ネットで世界が繋がっている。
派遣期間中も、スカイプやライン、フェイスブックやブログで日本にいる人たちともいつも通り繋がることができる。
途上国でも首都派遣であれば、必ずネット環境が整っている。
休日をYouTubeを見てゆっくり休んでいる隊員も多いのではないだろうか。
ともすれば、日本との心的距離感は、日本に住んでいるときと変わらない。
ネットの世界に飛び込めば、すぐに日本に帰ることができるのだから。
テレビやラジオを見聞きしているひとはとても少ないだろうから、情報量はもちろん少ないが、べつに無人島に行っていたわけではないのだから、文明に取り残されることはありえない。
というわけで、僕たちはわりとスッと日本に順応できる。今の時代。
日本社会や日本企業に順応できるかどうかは不明だ。
それはその組織特有のルールがあるから。
帰国隊員は浦島太郎状態。
浦島太郎状態とは、自分だけ過去に取り残されてしまったこと。
ぼくが帰国後驚いたのは、日本がこの2年間で劇的に進歩したことがないこと!!
ぼくが派遣される2年前と帰国後の今、それほど変わんない。
自分の身の回りの部分で変わることがない。
自分の地元で、開発が進んだり、団地が増えたり、新しい道ができていたりする。
でも、ガラケーがスマホに進化したり、パソコンがタブレットになったり、ブラウン管テレビが薄型液晶になっていたり、そういう革命的な変化が起きていない。
そういう意味で、出国前と帰国後の世界が変わっていないので、技術的な意味で浦島太郎状態になることはない。
『日本ってこんな感じだったな~』
おしまい。
浦島太郎のように、3日間竜宮城に行って帰ってきたら数百年後 ということはないわけだ。
テレビに出てる人も、変わらない。
今流行りの女優俳優も、変わらない。
CMに起用されているひとも、変わらない。
革命的な変化が起きる可能性って、成熟した日本では起こらないモノなんだなぁ と妙に納得する。
夢ではなかったことを証明してくれるのは、語学だけ
全然コロンビアのこと、思い出さない。
思い出せない。
思い出すきっかけがない。
2年間コロンビアで生活していたことを証明してくれること。
それはスペイン語。
スペイン語を聴く、スペイン語を読む、スペイン語の曲を聴く。
そうすると、あの頃の記憶が刺激される。
曲と共に、その場面がフラッシュバックする。
スペイン語を理解できることで、ちょっとホッとする。
『スペイン語理解できるよな。よしよし。夢ではなかったか』となる。
それも不思議と、スペイン語脳から英語脳に変わってきている気がする。
ちょっとした英語をサッと頭のなかに浮かべることができるようになってきた。
特別、英語を聴いていたり、英語の勉強をしたわけではないのだが、きっと日本にはスペイン語よりも英語の情報のほうがあふれているから、その情報を受け取ることによって自動的に英語脳に戻っているのだろう。
脳内で英語とスペイン語が自動翻訳されているので、東京で視覚的に飛び込んでくる情報が何語だかわからないまま瞬時に理解している。
こうにやって、スペイン語も忘れていくのかと思うと、すこし寂しい気もするが、それほどまでに日本に順応でき、落ち着くことができているというのは喜ばしいことだ。
おわりに
何かを覚えれば、その分何かを忘れる。
それでも、あの素晴らしい2年間のことは忘れたくない。
ほかの人にも知ってもらいたい。
だから、その情報を遺していこうと思う。
もう7月が終わろうとしている。
月日が過ぎるの、はやい
LEAVE A REPLY