人口減るのに、経済は衰退したらダメなのか?成長ばかり夢見ていても仕方ない

人口減るのに、経済は衰退したらダメなのか?成長ばかり夢見ていても仕方ない

経済成長、国内総生産、経済レベルの低下………。


増やすことばかりが「成長」なのだとしたら、もう増やさなくていいんじゃない?

経済はどうして、「生産」の部分しかみないのか

ぼくは家計簿を1年以上つけている。
つけている理由は、収入の変動ではなく、支出額とその使い先を知るためだ。

個人や家庭単位の家計において、大切なこととされるのは収入を増やすことではなく、無駄な支出を減らすこと。
収入源は急には増えないのだから、毎月入ってくる金額に大きな変動はない。
一方で、支出は違う。

日頃の生活スタイルや季節性、引越しや知人の結婚式への参加などによって、支出は大きく変動する。
ぼくも、5万円の支出で済む月もあれば、
ダウンを買ったり、結婚式に参加したり、国内旅行に出かけたりで18万円ほど奮発した月もある。

家計は、「短期的なお金の出入り」と「長期的な貯金」によってできているから、
一般的に私たちが家計管理をする際に注目するのは、生み出すもの(収入)ではなく、失われていくもの(支出)だろう。



でも、経済というマクロな話をする際は、必ずしもそうではない。
本や世間では、「経済を右肩上がりさせ続けること」を大前提として議論され、
そのためには車が売れないといけない、家電が売れないといけない、若者が家を買わないなどという話になる。

消費を拡大させないといけないという論調に至る。

でも、人口が減り始めているのに、右肩上がりで進むのだろうか?
1億2千万人の国と8千万人の国の経済レベルを直接的に比較しないように、人口が異なれば経済のなかで回る金額も変わってくるのが普通だろう。


であれば、日本は将来的に人口が減るのだから、経済が自然衰退することをいつまでも見て見ぬ振りするのは危ないのではないだろうか?

人は成長して老いるが、経済は永年成長できるのか

ぼくは、「衰え」も成長の軌道上にあると思っている。
人が子どもから20歳くらいまでに成長し、その後アンチエイジングをしながら安定し、徐々に老いていく。
老いることは悪いことではない。

成長と同じベクトルにあるからだ。

子どもが成長する2年間で、祖父母が2年分老いるのは自然のことわりだ。

生物の命の場合、生きるものは皆すべからく死に至る。
それはアンチエイジングでどうなるものでもない。


だから、私たちは歳をとることを悲観しすぎていない。
それが当たり前だからだ。


でも、なぜか経済は違う。
工場で無機質に自動で常にモノが生み出されていくが如く、半永久的に経済が発展していくと考えがちだ。
経済が発展すれば、国民の生活も代わり、人口分布も変わる。
世界的にみて、日本はその「国家としての老い」の最前線にいるだろう。
(先進国は、Developed で「成長した国」だから、ピークにいるのかもしれない)

この問題は、私たちのようにあと100年以上生きる世代が背負わされる。

だからこそ、冷静に考えて、
いつまでも右肩上がりで(見かけ上)成長し続けると思っている人たちや、
そうに成長させ続けようと目論む人たちの考えから抜け出さないといけない。

経済が衰退した先は、闇なのか?

ぼくは楽観的なタイプだと思っている。

環境問題や農業界も全く持続的ではないのに、「持続的」という言葉が安く利用されたおかげで、現代には持続的なものなどほとんどありはしない。
けれども、いくつかの解決策を自分の手で握っている分、ぼくが描くビジョンは楽観的に明るい。


例えば、Developedな日本が、この先人口減少にともない、経済規模が縮小することなど目に見えている。
その自然衰退を防ぐために、見かけ上、これまでの生産額を維持するために国民が今以上に疲弊することは想像できる。

しかし、舵の切り方によっては、老いていく日本が模範例となる可能性も十二分にある。
「衰退」が成長の延長線上にあるというのは、そういう意味だ。


ゆとり世代やミレニアム世代と呼ばれる世代があるそうだが、
消費行動に関する価値観は大きく変わってきているのは事実だ。
買うのではなく、必要なときに借りる。
無駄なものは買わずに、良いものにお金をかける。

これらの変化は、若者が社会に適応するために自然と身につけた能力であって、私たちは年配者がつくりあげた世代でもある。
若者の方が変わりゆく社会環境に順応するのが早いのだ。


年配者が若者の生活スタイルを揶揄するのは、自分たちの生活スタイルが若者にとって理想的ではないことを理解しているからに違いないのだ。
だから、若い人たちの価値観や求める付加価値というのも、当然上の世代とは違ってくる。
それこそがチャンスだと思うのだ。

お金にばかり振り回されない時代へ

たとえば、ぼくなんかは農業などの一次産業こそがもっとも大切なものだと考えている。
〇〇を扱う会社はなくても困らないが、食料はなくては生きていけないからだ。
そういう意味において、食糧生産を担う産業が下に敷かれる現状が不思議だ。


冷静に考えると、なくても困らないものはたくさんある。
お金を稼ぐために地球環境を壊して、地球があと30年で人も住めない状態になったとしたら、その金稼ぎに何か意味はあるのだろうか?


ぼくも、服や物を買う。
本だって買うし、食料だって買う。
けれども、必要最低限のものでいいや と思っている。
ぼくは元来ブランド物に興味はないし、一生涯永く使えるものを好んで選ぶようになった。

経済を回すことには貢献していないだろう。
大金を使ってまで買う物に、真に等価の価値があるとは限らない。


エコカーという名の車に買い換えるごとに、日本にある車の数はどんどん増えていく。
それが本当にエコなのかどうか。
エコなのは、中古車だけが走り回っていることではないだろうか。



リデュース、リユース、リサイクル
もっとも大切なことは、そもそも不要な物を減らすこと。


生産額でしか評価できない経済というのは前時代的な社会にすぎず、私たちの世代には別のモデルが必要だ。

 
経済の語源は、「民:世をうまく治め、民を苦しみから救い、安定させること」。
お金を回すことだけが経済ではない と思う。


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Chaito

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