【対 協力隊批判】「青年海外協力隊になりたい」なら、なってみることを選択してもいい:協力隊OBが冷めたフラットな視点で熱く提供します
いまの時代、ネットで情報収集すると、どんなテーマについても、めちゃくちゃたくさん情報が出てくる。
そのなかで、目に留まるものとそうでないものがある。
大切なことは、プラスのことしか扱っていない記事とマイナスのことしか扱っていない記事の両方を読んでみることだ。
誰かが協力隊のことを悪く言っていたとしたら、別の誰かは協力隊のことをほめたりしている。
これはなにも「協力隊」に限った話ではない。
この記事は、「青年海外協力隊」について、どうのこうの言っている有象無象の情報網のなかに、一石を投じてみることを目的として書いた。
珍しく熱く語っている部分があるので、楽しんでください。
目次 Índice
「青年海外協力隊」はボランティア事業なので、それを隊員レベルで議論するのはちゃんちゃらおかしい
「青年海外協力隊」というのは、ただのボランティアの枠組みのことだ。
その活動の中身や隊員の存在意義などというのは、その枠組みのなかの個々の隊員に委ねられるもの。
だから、青年海外協力隊(事業)自体の良し悪しを「協力隊隊員」というレベルに落としてまで話し込むことはナンセンスだと思う。
それに伴って、青年海外協力隊の隊員を対象にして、なにか指摘したり、悪口を言うことも不可能だ。
なぜなら、各隊員に起こっている事象は唯一無二のものであって、全隊員に共通するものではないからだ。
もし、なにか青年海外協力隊という全体的なテーマを扱いたいのであれば、
それは「青年海外協力隊」という制度が魅力的なものか否かというレベルで収めるべきである。
それか、どうしても何かを主張したいなら、JICAの青年海外協力隊事務局に物申せばいいだろう。
青年海外協力隊を志す者はすべて味方であって、敵には決してならない
「青年海外協力隊になりたい」と思っているひとがいるのであれば、そのひとたちはわれわれの味方であって、決して敵ではない。
それを煽るように説明したり、「青年海外協力隊は国際協力ではない」と啖呵をきることに何か意味があるのか、甚だ疑問である。
青年海外協力隊を志す人や、そのひとが任地で築き上げるかもしれない未来には、十二分な可能性があるのにもかかわらず、そこを根底の部分から蹴落とそうとするひとたちの真意はなんなのだろう。。
ぼくは協力隊OB。
なるべくフラットな立場から、「青年海外協力隊になりたい」「青年海外協力隊に興味がある」「国際協力に興味がある」という人たちに向けて、応援の意を込めて記事を重ねている。
しかし、青年海外協力隊にならないことを決めてもらっても、ぼくは哀しくも、嬉しくもならない。
それは僕の人生の選択ではないからだ。
それに、青年海外協力隊に関心をもった時点で味方なのだから、選択を迫られた際に「なる」「ならない」「保留」のどれを決断してもらっても一向にかまわない。
「あなたが選択するときの判断材料になりうる”何か”を提供できたらいいな」という貢献感だけで、ぼくは十分満足している。
国際協力だろうが、国際交流だろうが、そういう言葉遊びはどうでもいいだろう
青年海外協力隊という事業は、JICAの国際協力事業の一環である。
したがって、青年海外協力隊は国際協力である。
しかし、その事業のなかで実際に活動を行う隊員というのは、どうなのだろう。
隊員というのは「人物」なので、国際協力ではない。
『わたしは国際協力です』と言うのは、明らかに間違いだ。
隊員は国際協力を行う者ではあっても、国際協力自体にはなりえないのだから。(言葉遊びを始めました)
では、青年海外協力隊事業のなかの隊員というのは国際協力を行なっているのか、それとも、国際交流を行なっているのか。
そんなのどうでもよくない??
隊員の活動は「国際協力だ」と言われても、「国際交流だ」と言われても、ぼくら隊員OBOGが現地で行ってきた活動やその成果の本質は変わらないもの。
出来事の解釈は、それぞれ違うわけだし
もし、青年海外協力隊の隊員が行っていることが国際協力なのか、国際交流なのか、知りたい人がいたら、ネット辞書のリンクを貼っておくので、熟考してください。
ぼくは全く興味がないので、辞書に書いてあることに従えば、それで言葉遊びはおわりでいいでしょう。
Weblio辞書:国際協力
Weblio辞書:国際交流
ちなみに、ぼくは国際協力も、国際交流もそれぞれ素晴らしいものだと思っているので、特になんとも思いません。
この記事では熱心に取り上げてるけど、国際協力と国際交流に本質的な優劣があるわけではないでしょう。
青年海外協力隊の隊員は、国際交流をしている。
青年海外協力隊の隊員は、国際協力をしている。
たしかに、「国際協力」のほうが技術的な貢献が含まれている気がする。
一方で、「国際交流」のほうは学生が海外を知るための入門のような印象を受けるかもしれない。
でも、どちらも国際社会に貢献していることなのだから、気に留める必要もない。
そうに思う。
国際貢献をしたいという人たちに対して、ただの言葉遊びで優位に立とうとする気持ち悪さ
ぼくがいまだにずっと腑に落ちないのは、
何かに対してやる気を持っている人のモチベーションを、どうにかして下げようと暗躍する人たちがいること。
その人の人生なのだから、そのひとの取り組むことはその人に任せればいいのではないだろうか。
他人や社会などに迷惑をかけなければ、道を右に曲がろうが、左に曲がろうが、方向転換しようが、その人の好きにさせてあげればいいだろう。
普通の神経をしていれば、他の人の人生に噛み付くことで自分の優位性を見出そうとしていることはおかしいことだと思う。
(かくいうぼくも、ときどき幼く噛みつきますが 笑。この記事もそう。笑)
競争社会の弊害なのだろうか。
若い芽をつぶそうとする。
これから芽を出そうと健気にがんばっているところを、踏み固めて、芽が出ないようにする。
若い芽の成長速度に恐怖を感じているのだろうか?
若いのが出てくると、自分の立場が危うくなるのだろうか?
自分が積み上げてきたものに対してその程度しか自信を持てていないのだとしたら、それは競争社会において淘汰されるべき対象なので、若い芽を摘みたくなる気持ちは存分に理解できる。
でも、国際協力(国際交流なのかは知らないけど、この記事では「国際協力」とする)の世界では、人が少ないわけ。
それに、青年海外協力隊は、国際協力の入門編であって、参加者にとっては2年間という制限期間付きの事業だ。
だから、たとえ「国際協力」の同業者で働いていようと、何の害もないし、何の危機感も与えない。
青年海外協力隊の隊員のなかには、めちゃくちゃ現地で貢献できて、多くの成功を重ねることができた人もいることだろう。
そういうごく少数な人たちでさえ、誰かの「国際協力」の仕事を奪うことはないだろう。
であれば、何を以てして、青年海外協力隊の隊員や「青年海外協力隊になりたい」というひとたちを攻撃的に説き伏せようとするのだろうか。
やはり、自分が持っていない感情や視点の真意を理解することは難しい。
「JICAの青年海外協力隊」というのは、かなり有名な単語なので調べれば、たくさん本や記事が出てくるだろう。
「青年海外協力隊になりたい」と思っている人は、そういうものを読んでも、ただの時間の無駄にしかならないので、自分の好きなこと(専門や分野、国際協力の手法や考え方)を知ることに時間を費やしたほうがいい。
自分のレベルアップこそが、自分が行う国際協力活動のレベルアップにつながる。
これだけは間違いない。
周りから否定的なことを言われたとして、それで崩れ落ちる程度のモチベーションであるとしたら、それはその道を進んでいっても前途多難で、幸せな選択ではない可能性が高い。
ぼくのように、自分の国際協力に対するスタンスやモチベーションを確かめるために、2年間青年海外協力隊の事業に参加するというのも、ひとつの有効な手段だと思う。
2年くらいなら、どれだけつらくてもやり過ごせる
おわりに:「青年海外協力隊になりたい」と思うあなたへ
自分の人生の進路を選ぶこと。
それは、とてもエネルギーがいることで、理想と期待と言ったポジティブな感情だけではないだろう。
不安や懸念、先が見えない怖さと言ったネガティブな感情もある。
夢見る少女じゃいられない。
でも、「青年海外協力隊になりたい」というのは、選択肢のうちのひとつであることは間違いない。
『わたしには青年海外協力隊しかないんです!!!!!!!』という窮地におかれたひとは、いないだろう。
だから、「青年海外協力隊になりたい」と思っているひとが、青年海外協力隊に憧れを持つことは必然のことだ。
でもね、本質的なことを言えば、青年海外協力隊という事業を利用する価値が、あなたにとってあるかどうかを考えることが最も大切だ。
なにかを選択するときは、常にそうだろう。
自分にとってプラスに働くか。自分が望む結果を得られそうかどうか(たとえば、自分よりも優先したい最愛の人を、自分の人生を少し犠牲にしてでも幸せにしたいかどうか)。
常に自分自身のなかで、天秤にかけている。
天秤のように右か左かの2択だけでなく、選択肢は無数にあることだろう。
人生の進路選択は、まさに無数にある選択肢のなかから1つを選ぶことだ。
あなたにとって、「青年海外協力隊になる」ということには、なにか魅力がありますか?
この問いかけは、踏み絵ではないので安心してください。
青年海外協力隊という事業に利用する価値を見出しているのであれば、青年海外協力隊になってみるといいでしょう。
(試験を合格したりしなくてはいけませんが)
でも、なにかがうまくいったとしても、なにかがうまくいかなかったとしても、「青年海外協力隊」という事業のせいにしてはいけません。
そんな格好悪くて、恩知らずのことはするものではありません。
利用するだけ利用しておいて、自分にとって不都合なことが舞い込んでくると、手の平を返すように滅茶苦茶に言うひとがときどきいますが、やめましょう。
自分の人生がうまくいくか、うまくいかないかというのは自己責任なのですから、それを自己解決せずに、他者にぶつけて本質から逃げることはやめましょう。
逃げるは恥だが役に立つこと、逃げるは恥だが役に立たないことはしっかりと見極めましょう。
青年海外協力隊に応募できる人は、満20歳以上です。
なので、24歳で協力隊に参加したぼくが説法することは誠に恐縮なので、このあたりで終わりにします。
青年海外協力隊という事業は、旅人がごとく利用するものであって、そこで何年も何十年も勤務するようなものでは決してありません。
2年間だけの非常に流動的なボランティア事業です。
興味があってモチベーションがある方は、情報社会の波にのまれずに、自分の信念を信じてみてはいかがでしょうか。
どこかの誰かが否定的に語っていても、自分にとってはメリットを感じるようなことは、この世にたくさんあります。
その逆もまたしかりです。
近年、何か物を購入する際、アマゾンのレビューをかならず覗いて参考にしてしまうぼくですが、
青年海外協力隊への参加を決意するまでの間、「青年海外協力隊」について一度もネットの情報に触れたことがありませんでした。
それが皮肉にも今、自分がネットで収集したことのない「青年海外協力隊」についての記事を書き連ねています。笑
不思議なものですね!!
この記事が、誰かの何かに役に立てばいいなと願い、終わります。
今日も一日元気に頑張りましょう!!
↑ これ、ぼくの小学校の門のところにセンサー付きであった防犯対策のあいさつ。いまでもよく覚えている。
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