【これでいいのだ】国際協力は高尚なモノではない。隣に友だちがいたら、仲良く手を貸す

【これでいいのだ】国際協力は高尚なモノではない。隣に友だちがいたら、仲良く手を貸す

協力隊についてばかり書いていると、そこから少し外れたことを書きたくなる。

というわけで、協力隊特集からは少し外れて、
この記事では「国際協力」について触れます!!

 

国際協力を志そうが、志さなかろうがどっちでもいいと思う。人生のなかの1つの選択にすぎない

「国際協力」というワードで、論争を巻き起こそうとするのは結構簡単。

それを偽善と呼んでくれる人がいるからね。

たしかに、偽善的な部分もある。

利己的な判断に基づいて行動すれば、行動の裏には何かそれに対する対価となる利益が発生する。
大人の社会では当然のこと。
普通、普通。
べつに、それが悪いことではない。
むしろ、大人になっても純粋無垢に裏を計算せずに行動しないひとなどいない。

 

そうに考えると、国際協力を志すことってどうなんだろう。

自分の顕示欲で国際協力を志す人っているのかな?
「モテたいから、国際協力をすることにした!」っていうひとには、いままで会ったことがないなー。
「国際協力に携わってるよ!」と言われても、「へぇ~」ぐらいのリアクションだよね、普通。

「すっごーい!!!!」などという黄色い声援が飛んでくることはないだろう。

 

 

では、どうして国際協力をするひとがいるのだろう。

それは、それがそのひとの選択肢に入ってきたからだと思う。
あたりまえか!!笑

それに他ならない。
なにかがきっかけで、国際協力の道に進みたくなったから進む。
それだけだと思う。当然の摂理。

どうして、経済学部に進学した?
どうして、理学部に?
どうして、農学部に?
どうして、医学部に?
どうして、工学部に?

どうして、いまの業種の仕事に就いた?

 

知らないうちに、我々は選択を繰り返して、当たり前のように「今の人生」を歩んでいる。
それを選択した理由は、その選択に行きつくように自分でそう選択してきたから。

だから、国際協力に興味を持っている人は、選択を繰り返していったらたまたま国際協力に行き着いただけ。
たとえば、周りにそういうひとがいるとか、いたとかね!そういう影響力ってある。
自分が身を置いている環境によって、飛び込んでくる情報や出逢いは変わってきますからね。

青年海外協力隊という国際協力の入り口をくぐった僕たちのなかにも、そのまま直接的に国際協力のほうに進んでいくひともいれば、数年・数十年を空けて間接的に国際協力に進んでいこうとするひともいる。
もちろん、国際協力と全く関係ない新しい世界に行くひともいるし、それまで居た世界に戻るひともいる。

それぞれが選択をしているわけだ。

だから、「国際協力」という言葉にそんなに固執する必要はない。

われわれ青年海外協力隊員だって、スナップ写真的に活動期間の2年間、もしくは訓練期間を含めた2年と半年間を切り取れば、存分に国際協力をしている。まぎれもない事実だ。

でも、帰国後はどうだろか。
帰国後5年後は?
帰国後10年後はどうだろうか。

どれだけのひとが国際協力に携わっているだろうか。

 

 

 

というわけで、国際協力を目指しているからといって、それが特別なことだとは思わない。

「国際協力」をそういう風に高尚なものに仕立て上げようとしている限り、皮肉にも「国際協力」の敷居が下がらず、いつまでもそういう論争を生み続ける。

そういう論争があるほうが好都合なひともいるのかもしれないが、「国際協力」の敷居をもっと下げて、身近なモノになってほしい。
これからは、「国際協力」がいつまでも高嶺の花のような存在であってはいけないような気がする。

コメダ珈琲店で、フェアトレードのコーヒーを飲む。
これも「国際協力」だろう。
もっと奥に入り込んでいけば、フェアトレードを実際に現地に赴いて働いているひともいる。
それもそのひとの人生だ。
世界を素晴らしくしようとしている仕事のひとつ。でも、消費をしなければ、生産しても仕方ないわけで、その消費者ー生産者間の関係をフェアにしていく枠組みをつくることは大切。それはみんなで創り上げていくもの。
良い枠組みをつくれれば、何もしなくても「国際協力」ができるようになる。
そういう枠組みを創ってほしいよね。
ぼくは無理だ。だれかやってくれ

 

と、まぁ語ったところで、自分の人生は自分のものだから、国際協力をしてみたければしてみればいいと思うし、興味がなければしなくてもいいと思う。

ぼくは国際協力に関心があるけど、そこまで自己犠牲はかけられないタイプだった。
それを青年海外協力隊の2年間で理解した。
かなり利己的に行動するタイプ。

自分の時間をたくさん捧げることはできないし、したくない。

 

これをひとにどうこう言われる筋合いはない。
だから、ぼくもひとの人生に口を出すつもりもない。

友だちに国境はない (月並みなフレーズでごめんなさい)

青年海外協力隊で行ってみると、国際協力とかそういう高尚なモノではなく、単純にアッチに友だちができる。

友だちが困っていたら、助ける。
ぼくが困っていたら、助けてくれる。

これって、友だちとして当たり前のことだと思う。
行動できるかどうかは別として、そういう感情を抱くことは特別なことではない。
これもある種の国際協力なのだと思うと、「国際協力」って大事に大事に担ぎ上げるような高尚なモノではなくなる。
以前書いた記事⇒すべての青年海外協力隊員は、世界平和構築の最前線にいる!!

友だちがいれば、そのひとの幸せを願う。

国際協力を何の気なしに始めると、自動的にこういうつながりができてきて、知らず知らずのうちに「国際協力」を始めていることになる。

 

世界平和や飢餓を救いたいのはみな同じ。それを現場でやるか、日本でサポートするか

ぼくはサッカーが好き。
いまはサッカーを観るのが好きで、やるのはさほど好きではない。

でも、サッカーをプレイすることが好きなひともいる。

それはもう興味の違いだ。
良し悪しではないし、優劣があるわけでもない。

これがプロの世界になれば、お金が発生する。
それでも、どちらが偉いわけでもない。

 

 

国際協力も同じようなモノだろう。
すべてのことを現地で解決できるわけではない。
たとえば、青年海外協力隊事業もそうだ。

ときに「税金の無駄遣いだ」と言われることもあるが、青年海外協力隊事業は税金なしではありえない。
ぼくのコロンビアの配属先はプロジェクト資金をアメリカやスペイン、ドイツから調達していた。

国際協力には資金が必要で、サポーターが必要になる。
もちろん、そういう資金援助なしでできることが理想ではあるが、理想であって現実的ではない。
ともすれば、サポーターの存在というのは大きいわけだ。
それはなにも資金的な側面だけではない。

途上国で作った製品を買うひとも必要だし、少し高くてもフェアトレード商品を買ってくれる人も大切なサポーターだ。

 

 

ぼくは現地で動くよりも、日本に本拠地を置かないとやっていけないタイプなので、うまく”枠組み”をつくっていきたいと思います。

 

 

突発的に、こういうテーマを書きなぐりたかったので、書きました!!


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Chaito

COMMENTS & TRACKBACKS

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  1. By 6003

    やたらと強調される「国際協力」というワード
    自身が持つ違和感がこの記事で熔解しました。

    こんにちは
    はじめまして!

    来年南米へ派遣予定の者です。

    どのブログを見ても国際協力について書かれては
    いるが、御稿については筆者がニュートラルな位置で
    一歩引いてみることによって広い視野で書かれていると思います。

    協力隊全員が国際協力の名のもと、
    活動を行う必要があるのか?
    という違和感を持っていた私ですが腑に落ちました。

    ありがとうございます!
    とてもいい記事です。

    • By じゅんぺい

      こんにちは!
      素敵なコメントありがとうございます。
      それとともに、記事を読んでいただき、ありがとうございます。うれしいです。

      来年協力隊として派遣されるのですね!おめでとうございます。

      この記事を書こうと思った突発的な動機も、ほかのブログなどの「国際協力」「国際協力を目指した理由」に関する記事に目を通していた際に、こうに思ったのです。

      「僕もそうだけど、訓練所にいた候補生も、任地であった隊員も肩ひじ張らずに『国際協力』『国際協力』していなかった。かえって、『国際協力』を意識すぎることは自分を奮い立たせようとしているだけで、心的なストレスになってるのではないかなぁ~」と。

      6003さんは、6003さんの等身大のままで派遣地で過ごせば、それが国際協力になると思いますよ。
      応援しています!!

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