「文化(思考)が違えば、働き方も違う」と、言うは易く慣れるは難し
活動をしていると、結構な高頻度で「え、それまでやってくれてなかったの???」と思うことがある。
個人主義が仕事の邪魔をする。仕事を俯瞰して考えない。
期日が迫っている仕事があれば、それから優先的に片づけていく。
それは、物事を包括的に見ることができ、自身で考え、判断できる能力があってこそ、優先順位を振っていくことができるのである。
協力隊として現地の人と働いていると、日本では当たり前のこの考えが、”我々の能力”であることに気付く。
頼まれごとの優先順位が高ければ、その仕事から優先的に取り組んでいくのは、僕個人としては当たり前のことだ。
でも、それが当たり前でない世界が現に存在する。そして、その世界で生活をしている。
「これ、明日までに必要だから印刷したいんだけど。」と言うと、
「この仕事が終わったらやるから、あと30分待って」と言われる。
その取り組んでいる仕事は、ただのエクセルへの数字の打ち込みで、緊急を要するものではない。
でも、その優先順位が変更されることはない。そして、当然のことだが、30分は30分ではない。
一緒に働いている人のほとんどすべては、最初に取り組んでいる仕事で頭のなかがいっぱいになると、その仕事を終わらせないと次の仕事に移れない。
だから、ちょっと話しかけようものなら、「ジュンペイ、怒らせないで!あと20分待っててって言ってるでしょ」と言われる。
ぼくが思う優先順位というのは、あくまでも『僕が思う』優先順位であって、一緒に働いてるコロンビア同僚たちは彼らなりのルールで彼らの優先順位があるということだ。
そして、その「彼らの優先順位」というのは、個人主義の働き方によって成り立っている。
これがかなり厄介である。そして何よりも、働きにくさを感じる原因でもある。
なにも、「俺が言ったんだから、すぐやってくれよ」と考えているわけではない。
ただ単純に、コロンビア人は個人思考が強く、それを仕事にも持ち込むので、組織として俯瞰して仕事を考えることのできる人が少ない。
みんな個人の視点からしか話さないから、最終的にも個人と個人の意見のぶつけ合いになってしまい、組織やチームとしての妥協点にたどり着かない。しかし、「妥協点までたどり着かない」ことが彼らにとっての習慣的なゴールになってしまっている。つまり、『言いたいことを言って、相手も言いたいことを言って、相手が言ってることには納得できないけど、自分の言いたいことは言えたからこの話し合いには満足』という具合だ。だから、彼らにとって「結論が何もでない会議や話し合いが当たり前」になっている。
このように、『個人的な視点からしか話さないから、お互いの妥協点を見つけることができない』。
端的に言えば、『個人主義思考が仕事の弊害』となっている。
このように言うのは簡単で、きっとこれを読んでくれている方もなんとなく「あ〜個人主義思考ね。わたしの周りにもいるわ」と思うことだろう。
でも、これはとっっっても根が深い問題である。
日本の会社や集団のなかに、数人そういうひとがいても、ほかの大多数はきちんと組織全体の利益(ベネフィット)を考えて行動できるひとたちなので、大きな支障をきたすことはない。
しかし、異国の地に行けば、「そうに考えているのは自分1人だけ」で、ほかのすべてのひとは一切そういう価値観やビジョンを持っていないし、自分が思い描いているモノを考えたことすらない。
これが、異文化理解のおもしろさであり、難しさだろう。
日本のお風呂に慣れた我々は、コロンビアでお湯が出ないシャワーに不満を抱いたり、「ここのホテルってお湯出るのかな?」と気にしたりするが、水シャワーが当たり前のコロンビア人にとって、「シャワーにお湯ってなに?そんなの必要?べつに、水で十分じゃん」と感じるわけだ。
一方で、トイレットペーパーを備え付けのゴミ箱に捨てることが当たり前で、便器に流してはいけない南米の人が、日本のトイレに入ったときに、どこにペーパーを捨てればいいか戸惑うだろう。便座があったかいことにも驚くだろうが。
文化(思考回路)の違いは、郷に従うモノ
大人になってから、脳回路に染み付いた思考パターンを変えることはとても難しい。
たとえば、「頭で考える前に口が動く」タイプの口数が多く、ガミガミガミガミしているひとを、「頭できちんと考えてから、言葉を発する」穏やかで口数が少ないひとに変えることは簡単だろうか??
頭でまずよく考えてから慎重に行動に移すタイプ と 行動力が凄まじいタイプ。
この2つのタイプは、性格の違いと呼んでもいいだろう。
これを、変えることは簡単だろうか???
簡単ではない。
このブログを読んでくれている人はわかるように、ぼくは典型的な前者『頭でまずよく考えてから慎重に行動に移すタイプ』である。ときに、頭のなかで考えたまま、タイミングを逃して、行動に移すことができないこともあったりする。
その一方で、派遣前の駒ケ根訓練所で出会った、同世代の人たちは後者の『行動力が凄まじいタイプ』であった。だから、ぼくは彼らのその行動力に尊敬を持っていた。憧れもしたし、もう少し積極的になりたいと思った。
こういった性格の違いというのは、チームを組むと良く機能する。
行動力のある周りを引っ張っていく力を持った人をリーダーに立て、その舵取りを「よく考える」ひとが行う。そうすることで、チームとしては推進力を持ちながら、思慮深く計画的に物事が進むようになる。
同じタイプばかりだと似たような視点しか付加されないので、長く組んでいくチームの場合、いずれかのタイミングで課題に直面するだろう。
ぼくは、『性格というのは1つではなく、引き出しのようにいくつも持っていて、その中から臨機応変にその場に適した性格を取り出すようなもの』だと考えているので、実際には上の例のような一見相反する性格を持ち合わせている人もいる。
でも、なにかの本で読んだが、人間の性格や思考パターンは25歳までにほとんど形成されるようである。
異国に飛び込んだひとは、その異国の郷に従わなくてはいけないのだ。
つまり、我々が自分たちの考え方や思考を彼らに寄せていかなくてはならない。
「日本人の考え方や仕事の仕方を学ぼう」とする姿勢を持った人もたまにはいるが、基本的に「コロンビアにいるんだから、おまえがコロンビアに合わせろ」というのが一般的な考えだ。
日本でもそうだろう。
日本にいる外国のひとには、われわれも彼らが別の文化を持っていることを理解しておきながらも、日本のルールに従って生活や仕事をおこなってほしいものなのだ。
「おたがいの歩み寄りが大切だ」 と口では言うものの、実際は郷に入っては郷に従うべきなのだ。
ぼくが彼らの仕事が遅くてイライラしてしまうと、「ジュン、落ち着いて落ち着いて」と言ってくる。
自分の余裕のなさが、彼らの心のゆとりによって救われる。
でも、彼らが仕事でアワアワして、イライラしているときに話しかけると、「ジュン、怒らせないで」とすごまれる。
こういう理不尽さも、郷に入っては郷に従うべきなのだ。
LEAVE A REPLY